ミュージックワイヤのお話日本最初のピアノ

日本最初のピアノ

日本にピアノという楽器がいつ、どのようにして伝わったのかは、残念ながら確かな資料がなくはっきりしていません。しかし、日本で一番古いピアノは山口県萩市の熊谷家に保存されています。このピアノは、1823年に来日したオランダの医師シーボルトによって持ち込まれたものですが、1806年頃の英国ロルフ社製で、スクエア型という四角いテーブルのような形をした小型のピアノでした。1828年にシーボルトが帰国する際に熊谷家に寄贈したとされています。

このピアノ弦は全て1音2弦の複弦で構成され、材質および構造は低炭素鋼線(鉄線)が52音、黄銅線が5音、黄銅線にオープン巻線を施した弦が11音となっており、18世紀末から19世紀にかけてのヨーロッパにおけるスクエア型ピアノの弦の特徴をよく表しています。

明治30年代の国産アップライト型ピアノ

写真提供:ヤマハ(株)

日本で初めてピアノが製造されたのは、一般的には1900年(明治33年)、日本楽器製造株式会社(現 ヤマハ株式会社)の山葉寅楠が、若手の松山大三郎、山葉直吉、河合小市(後の河合楽器の創設者)らとともに製作したアップライト型のピアノとされています。

しかし、これ以前にも西川寅吉が、横浜のイギリス人やドイツ人からオルガンやピアノの製造法を学び、西川風琴製造所を設立して、1886年(明治19年)からピアノの製造を始めていますし、山葉寅楠も日本楽器製造の前身である山葉風琴製造所時代の1890年(明治23年)に製造、両社の社名に「オルガン」が用いられているのは、当時は製造の難易度もさることながら、輸入ピアノと比べて安価なオルガンの需要が大きかったからでしょう。

しかし、これらのピアノはいずれも、国産化したのは外部の木工部分だけで、内部の主要部品のほとんどは海外からの輸入というものでした。何をもって国産とするかという定義はむずかしいところですが、ミュージックワイヤはピアノの輸入当初から輸入品に頼りつづけ、国産化されたのは戦後のことになります。

そもそも一般のピアノ線さえも1938年(昭和13年)まで輸入に頼っており、素材からのオール国産化が出来たのは、太平洋戦争が始まる1941年(昭和16年)のことで、時局がら、民需より軍需が優先されたのもやむを得ないことでしょう。