ミュージックワイヤのお話複弦の歴史
複弦の歴史
ピアノはひとつの鍵盤で複数の弦を叩くようになっていると言いましたが、ひとつの音に複数の弦を与えるしくみを「複弦」と言います。このような弦はピアノ以外にも、ギターやマンドリンに見受けられます。この複弦はトレモロ(イタリア語で震えるという意味。同一音の急速な反復または急速な2音の交替発音)の演奏を可能にするだけでなく、音量の増大という役割もはたしています。この複弦の起源は非常に古く、ペルシャ(現在のイラン)の民族楽器であるサントゥールに見られます。サントゥールがいつ生まれたのか定かではありませんが、10世紀頃にペルシャで作られた詩の中に登場するそうです。サントゥールは台形の共鳴箱の上に弦を張り、それを2本のバチで叩いて演奏する打弦楽器です。複弦を持つ打弦楽器という点では、まさにピアノのご先祖様とも言えるでしょう。
サントゥールの外観と複弦部の拡大
写真ではわかりにくいが、鉄と真鍮の4本の複弦が交互に配置されている。
写真提供:浜松市楽器博物館
このサントゥールはその後500年をかけて世界各国へ広まりました。インドではサントゥール、モンゴルではヨーチン、中国では揚琴(ヤンチン)、朝鮮半島では揚琴(ヤングム)、タイではキム、ハンガリーではツィンバロム、ドイツやスイスなどのチロル地方ではハックブレット、イギリス、アイルランド、アメリカではダルシマーと呼ばれ、現在でも民族楽器として使われています。
昔のサントゥールに用いられた弦の材質は羊腸でしたが、現在は真鍮と鉄です。シルクロードの交易により一時は、中国産の絹に代わったという説もありますが、打弦楽器の場合は張力が高くないと、バチが跳ね返りませんので、疑問視するむきもあります。弦の数は4本の複弦が18組あり、総弦数は72本です。サントゥールとは、サンスクリット語の「百の弦を持つ琴」を意味する語に由来するそうですが、これではちょっと足りません。しかし、調べてみると、昔のサントゥールは24ないしは30組の弦を持っていたそうですので、名前どおりといってよいでしょう。
こうした複弦はピアノ以前の代表的鍵盤楽器のハープシコード(チェンバロ)に受け継がれましたが、その役割は音量の増大でした。1700年頃、バルトロメオ・クリストフォリによるハープシコードを改良した「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と呼ばれた最初のピアノも当初から2本の複弦を持っていました。現在のような3本の複弦になったのは、ピアノという楽器が広く認められ、音域、音量の拡大の求められた1800年頃からです。
ピアノをはじめとした複弦の採用は音量の増大が目的である言いましたが、実はその後の音響工学の研究で、単なる音量の増大だけでなく、音色にも深く関係していることがわかってきています。弦と響板が結合している場合、複弦の方が単弦より振動の減衰が遅くなり、余韻音が残るのです。この時、2本あるいは3本の複弦の間で、全く同じ条件に調律するとこの特性が失われますが、わずかなずれを与えると減衰がゆるやかになるのです。現在のようにチューニングメーターという便利な道具もない時代に、強度の低い材料を用いたわけですから、複数の弦を全く同一条件に張ることはほとんど不可能で、わずかなずれは必然的に生じていたものと思われます。ピアノに限らず、複弦の採用者は複弦と音色の関係を経験的によく知っていたのかもしれません。